表題の「そう」とは、楽しそう、かっこよさそう、なごみそう…などの「そう」のことだ。
実は映像、このような「〜そう」を表現するのに長けている。
もちろんこの「そう」、写真やイラスト、あるいはキャッチコピーによって表現できないことはないだろう。
しかしそれら媒体において、メインコンセプトにこの「そう」を据えることは、かなり難しいとおもう。なぜなら、「そう」とは、なんとなく、そこにある、ふわふわとしたうすーい共通感覚に過ぎないからだからだ。
実際、相手には興味があっても、その話には全く興味ない、なんて場合、使いがちだ。
「あー、いー、それ。なんか楽しそう」
「マジ、よさげー」
しかし、映像は別だ。この「楽しそう」あるいは「そう」ではないが「マジ、よさげ」の「よさげ」のような、弱くてふわふわしたものであっても、メインコンセプトに設定できる。というのも、映像は「時間」という強力な構成要素で組み上げられているからだ。
例えば、「楽しそう」をメインに置くとした場合、「楽しそう」のシュチエーションをバージョン違いで用意して、それをたたみかけ、重ねていけばいい。
笑いの世界に「テンドン」という笑わせの技がある。同じギャグやオチを重ねていくことで、なぜか笑いが増幅していくというアレだ。
同じく、いろんな「楽しそう」を重ねることで、モンタージュ的効果もあいまって、観る人の記憶の中に堆積していく。
すると、そもそも薄味であったはずの「そう」が「層」になっていき、どんどん凝縮されていく。こうして、ふわふわしていたものだった「そう」が固形物になり、結果、心に残っていく。
とまぁ、こんなメカニズムがあるのではないかと、あくまで推測なのだが、そう思っている。
これは広告やPRにおいてとても有効だ。実際、多く使われているので、時々、「そう」のミルフィーユを頭の片隅にCMだとかPVとかをご覧になってみると、おもしろい発見があると思う。
余談になってしまうが、その一方で、このことを逆手にとったというわけではないだろうが、動かない故に、動きがビビッドになる、という手法もある。こちらについては別の機会に触れてみたい。